あ ー 赤裸々な日記 10/1(月) 台風のち晴

せき らら [0] 【赤裸裸】

( 名 ・形動[文] ナリ
からだに何もつけていない・こと(さま)。まるはだか。 「一は衣冠した醜骸で,一は-の醜骸だ/社会百面相 魯庵
包み隠しのない・こと(さま)。あからさま。 「 -な告白」 「 -に言う」

 

 

前回の赤裸々に脚色なしに綴る、という表現は『頭痛が痛い』みたいなとんちんかんな表現であることが判明。
いや、脚色なし(誇張しない)と赤裸々(包み隠さない)ことは競合しないか…?
などといった面倒臭い思考が発生する辺りはやはり厄介なオタクの性であるか…
とにかく、前回の記事が思ったより好評で嬉しかった。承認を得た。
お世辞かもしれない…と思うのはできるだけ考えないようにしたい。とにかく、前回の記事を長かったにも関わらず読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございます。
自分のブログなのだから、自分語りは許されるだろう…と思いつつもやはり匿名文化で培われた習性は根深く、後半の辺りは9割も省略してしまった。
機会があればそこも補填していこうと思う。

赤裸々に語るのは悪いことではなく、美大生であるにも関わらず自己表現で発散ができない落ちぶれとして残された手段である、という自意識は育てていきたい。
未だに性コンプレックスはかなり強く認識していて女性でないメンヘラの自分語りなど需要があるのか……?という不安はある。著名なメンヘラが女性しかいないのがそれを物語っている。
しかしそこで折れてしまっては我々のようなメンヘラの運命は変わらないし、少しでも現状に加油できればと思う。

酒缶を数本開けて酔った勢いでしかこういった文をかけないことも、今後の課題だ。

 

ayu3c.hatenablog.jp

 

実は空気人形のアカウントはネット・アカウントの皮を被ったリアル・アカウントだ。
メンヘラ故のメンヘラ・ムーブでリアルとの繋がりは殆ど断ち切られたが……

鍵をかけていてもTwitterに紐づけしたここのURLは見えるし、リアルの人間にも見えるのでそういった配慮を考えてた頃もあったが、赤裸々に綴るのでこれらも無しだ。
僕は所謂『無敵の人』と化したので社会的評価が落ちようとかつての人脈は無いに等しいし、恥をかなぐり捨てて日記を書こう。
彼らが『敵視した人間はブロックしても監視し続け、その不幸や無様な姿を嗤う』という生態を僕に適用していなければ無関係の話ではあるが。(不穏ペナルティ1)

 

TLを追っている人はもう既に知っているかもしれないが、僕は某美大の4回生だ。
Twitterの登録日を見れば2015年4月なのでこれがリアル・アカウントである証明にもなる。
(また、アカウントはこれしか所持していないので『安らぎ・穏やか』を名乗りながら陰で陰口を放ちまくっているという心配もしなくてもよい、穏やか・アカウントだ。)
4回生ではあるが、現在2回留年していて、学年は2年生だ。(回生という表現がとても便利で有り難い)
それに加えて今年も1年丸々休学しているので3留が決定している。
高校の出席日数が足りず高校を半期遅れで卒業した影響もあり相当な遅れになる。

僕みたいな落ちこぼれが国立大学に入れるわけもなく、(というか国立美大は片手の指で数えられる程しかない)私立美大の学費は膨大だ。作品の材料費はもちろん自費になる。
金さえかければ愛情はかけなくとも良いだろうという両親の方針によって中学から一人暮らしをしてきたが、はっきり言って僕の実家は太くはないし唯一の稼ぎ役である父は定年を迎え大学を幸いにも卒業できたとしても実家がパンクするのは目に見えている。

 


ここまで読んで『お前は恵まれている』と思った人は何人もいるだろう。
バイトもせず親の援助で暮らしているのだから、恵まれている。
人見知りであるのにも関わらず接客業をし、血反吐を吐きながら、クレームを処理し、パワハラを避け、睡眠時間を削り、好きでもない異性の好意を処理し、学費や家賃、光熱費を稼いでいる人間は何人も見てきた。
彼らは僕のことを一律に恵まれている、親に感謝しろと言う。確かにそのとおりなのだろう。生まれによる優越は、確かに存在する。僕が性違和や愛着障害を感じると同じように、彼らも僕に対して同じような気持ちを抱いているのだ。


そのような目で見てきたのは個人だけではない。社会も同じような目を向けてきた。
高い学費を安くするためにまずは専門学校への再入学を考えた。
弊学の学費が年間約160万円(+材料費)であるから、専門学校に入れば大抵の場合学費が節約できるからだ。
自分ができることを考えたときにまず浮かんだのが調理師への道だった。
調理師は年収は安いが就職倍率は100%を越えている。ニートのまま過ごすよりかは悪くはない。職歴をつけるという目的もあり、早速調理師学校の体験授業を何校か受けた。
やはり向けられたのは年齢と、社会経験の低さであった。
曰く、「専門学校は基本的な知識、技能を徹底的に身につけるものであって、働いて食っていくというだけであればこの分野なら実際に働いて、スキルを身につけるほうが早い。そりゃ、学校としては入学してほしいけど、これは人間的な話だから……」と。
専門学校OBの利益不利益を除いた率直な気持ちだった。
彼の言葉と目には、僕の生まれを羨む形で批判してきた彼らと同じ色を孕んでいた。


僕の生まれ年は新卒1年生と同じ年齢、1995年生だ。
それより遅れた人間は正当な理由がない限り、人生の落伍者、怠け者、無能である。
心の弱さは自己責任だ。それに加え、職歴もないのだから擁護のしようがない。
今から身体の中身を入れ替えて大学を卒業しても、卒業するのは2022年だ。
26歳の何の実績もないメンヘラにまともな職が就くだろうか。就くわけがない。

 

 

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引用 石田スイ『東京喰種トーキョーグール7巻』


“この世のすべての不利益は「当人の能力不足」で説明がつく”

精神疾患者は他者の目には『不可視な事情』なのである。
透明な存在。社会的弱者なら精神疾患者でなくとも一度は感じたことがあるだろう。
関与も問題にもされず、考慮されない存在。
 
健常者にとって精神障害者とは、『疑うまでもない明確な障害』と認知できる身体障害者知的障害者に便乗して障害者面をする、厚かましい人種なのである。

 

また、SNSにおいて度々メンヘラ達のメンヘラ度大会が開催されているのを見ても分かる。
SNSで彼らのクラスタの渦中にいれば、メンヘラ達がいかに己が不幸であるか、自身よりも恵まれた人間の不幸アピールをdisっている様子を見られるだろう。
かくいう僕も、自身より明らかに恵まれている、羨ましい存在がメンヘラツイートしているのを見て「こいつはFAKEだ」と感じたことは枚挙にいとまがない。赤裸々に言えば現在進行形でも自身よりも恵まれているな、と思う人間がメンヘラ芸をしていると穏やかな気持ちが揺らいでしまう。
しかし、彼らは一歩間違えれば弱者のアイデンティティを剥奪されて健常者の最下位層に位置づけられるのを恐れる、哀れな存在なのだ。それを忘れてはいけない。



自立しなければならない。
モラトリアムはとうに過ぎ、我々は己の力で食い扶持を勝ち取らなければならない。

学歴には深く根強い、洗脳に近い先入観があった。
自称進学校OB教師陣による偏差値信仰。親の大卒信仰。ネットの学歴信仰。
社会的な環境、コミュニケーション能力は抜きにしても最終学歴高卒の人間が5割弱であるという現実を他所に僕の中での学歴への執着はかのS氏(上記記事参照)への執着にも勝るにも劣らないほどの執着があった。

 

そんな思いが、胸を掠めては、消えた。

 

美大界隈では滑り止めに値する学歴。
予備校時代に燃えていた夢への情熱は界隈の人脈偏重の現実と自身の怠け癖の前にかき消され、専攻の成績と反比例するように伸びていく座学の成績。
このまま在籍しても高い学費を払い続け、企業の目にとまるような作品を、ポートフォリオに載せるようなものを作れないまま卒業するのは目に見えていた。


大学に、大卒に、人間関係に、希望を見出す精神疾患者はかくも愚かだったのだ。

精神疾患者は精神疾患者でしかない。努力で補えるものではなく、境界例は人間関係に、発達障害は制作スケジュールに、社会不安障害はグループワークに、それぞれ希望の芽を潰されあるべきところへ堕ちていく。

 


そうして僕は退学の道を選んだ。
死ぬよりかはマシか。そのような考えを拾ってくれる団体が居ないことから目を背けつつ、かつての級友が僕を嘲笑う姿を思い浮かべながら。

 


真の弱者にもなれず、弱者の中の強者にもなれず、男でも女でもない性に板挟みにされ、自死することも叶わずこの記事を書いている。