壊れたときの思い出

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この記事はもともと書いていた自分語りの一部分を抜粋したものです。
期間的には中高生の頃の話になります。
それ以前のものは自己憐憫まみれで楽しくないと思うので切り取ってあります。
切り取った都合上それ以前について説明不足な点がありますがご想像にお任せします
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メンヘラになるきっかけはどんななり方にしても各人にとっては忘れられない記憶で……
正直ひとに言えないようなこともたくさんあるけれど、脚色なしで赤裸々に綴ったので拙い文ですが楽しんで貰えればなと……



幼少期はあまり親と過ごせなかった。
父は転勤族で、母は望んで産んだわけではない、世間体のために産まされたんだと僕に向かって常に愚痴を吐いていた。
両親と過ごしたかったけど、祖父母に世話をされていた記憶のほうが多かった。
ようは典型的なメンヘラの種へ育てられた。


両親は僕を手元から離すために寮のある学校を受験させることに。
受験勉強で勉強嫌いになっても合格しなければ祖父母の田舎へ送還すると脅迫され、「合格すれば人生うまくいく」と無理矢理受験させられた。
合格して寮へ入った僕は土日だけ家へ帰れるのを利用して受験の反動でインターネットやゲームにのめり込むようになった。


インターネットに潜るときはニコニコ、2chTwitterが主な居場所だった。
2008年当時東方Projectにハマっていた自分はリアルで東方Projectを語れる人間が居なかった分よけいにのめり込み、東方Projectのファンコミュニティで過ごしていた。
そこから人脈の雪だるまが始まりTwitterが最終的な居場所になった。


当時は中学生というと2chであれニコニコであれ「リア厨(リアル中坊)」などと叩かれコミュニティから叩き出されるという風潮が強く、必死に年齢を隠し「大学生」ということでらしく振る舞っていた。
中学生を自称しても叩かれず、むしろ有難がられる今日の中学生が羨ましいが、いい思い出だったと思う。
(思えばこの自己を押さえつけて相手の出方を伺いつつ演技していた日々がコミュニケーション障害になるきっかけだったのかもしれない)


そこのコミュニティに紅一点が居た。
彼女(以下Kさん)はユーモアに長け、独特の雰囲気でそれだけでも求心力を持っており、
女性であることをカミングアウトしてからコミュニティ内での人気は盤石になり、所謂オタサーの姫のような扱いになっていた。


今ではわざわざ女性であることをカミングアウトするような人間はまずネカマを疑われるのがオチだろうが、当時の僕は中学生で疑う心はなかったし、スマホ普及前のインターネット、オタクジャンルの男女比はもちろんオタク側も免疫がなかったのだ。
ネカマと疑ったオタクも、ネカマだと騒ぐような無粋な真似はせず静観していただけかもしれない)


Kさんは常に彼女だと分かる記号を付与して発言していた。
所謂
「半コテ(半分固定ハンドルネーム)」
である。
匿名文化においてコテハン・半コテは忌避されるものであったが、彼女は自治が厳しかったにも関わらずそのような特権を得ていた。
Kさんはまるで蝶のように捉えようのない受け答えで、乙女らしさを感じさせる、自分が勝手に感じていただけかもしれないが安らぎを得られるような言葉遣いだった。彼女の半コテの印である小文字がそれを一層強調させていた。
ネタ振りの秀逸さも、オタクとしての知識もあった。彼女がいると場が華やかであったし、話が弾んだ。
勿論僕もそんな彼女の雰囲気、言葉遣いの虜になっていた。まだ初心であった僕は恋愛感情というものを抱いておらず、人気者であったKさんと、彼女がレスポンスしてくれる心地良さを純粋に味わっていただけだった。もしくは高嶺の花という認識だったか。


ほどなくしてKさんは忽然と消えた。別れの言葉もないままにコミュニティに現れなくなり、Twitterアカウントも消えた。
インターネットではよくある話である。
しかし有象無象のオタクならまだしも、あのKさんが消えたのだ。
表立って騒ぐオタクは居なくともKさんがどこへ消えたのか、何かあったのかと心配する声が相次いだ。僕の知らないところで彼女の行方を必死に探すオタクも居ただろう。
Kさんが消えて数カ月経っても彼女がどこへ行ったのか心配する声は絶えなかった。
しかし、彼女は戻ってこなかった。
彼女はオタクたちの心を奪い、絶頂期のうちに消えたのだ。すべてが完璧だった。人心掌握とはこのことだ。
僕は消えたKさんを残念に思いつつも他のオタクのように深追いすることはなかった。その時は……


Kさんが消えてから1,2年ほどだろうか、高校生になった僕はメンヘラの種が発芽していた。
男子校故の女子禁制の空間と、男子校における女子ロールに心地良さを抱いた性違和、寮内での拘束、心を打ち明けられる存在の不在、承認の不足などが原因だった。
やり手の生徒が女子校など他校へのパイプを作ったりして女子との交流がなかったわけではないが、仲間内でも顔の良くない扱いを受けていたりしてコンプレックスも爆発していた。
幼少期に仕込まれた種が発芽していた。


一方ネットではかつて栄えていたコミュニティも過疎ってしまい、僕はそこから派生したTwitterクラスタに入り浸っていた。高校生になって念願の携帯も契約してもらえたので隠れて携帯に齧り付いていた。
そのクラスタではかつてのオタクコミュニティとは打って変わって様々な人間がいた。
オタクの残党やクラスタの長老、どういう繋がりか不明な女子高生達、アル中の大学生達など一見纏まりのない人たちだった。
肩書きのまとまりはなかったが皆仲が良く、毎日のようにグループ通話をしていた。
勿論、そこにもKさんの姿はなかった。


メンヘラの芽は順調に育っていたがある日、クラスタのSという人物と相互になった。彼は相互になるとすぐにフレンドリーな様子で距離を詰めてきた。
相互になって数日経った頃、彼とチャットしているとどういう経緯でフォローしたのかという話題になった。
そこでSの口からは

「私はKさんだよ。だった、というか」

という答えが。
久しぶりに聞くKさんの名前に僕は混乱した。
Kさんが消えてから僕の中でKさんの思い出は美化され、いつしか彼女は僕の中で絶対的な存在となっていた。

僕は必死にモニターに齧り付いてSに質問攻めをした。
ちゃんと質問攻めできていかすら曖昧だった。オタク達の人気を攫って忽然と消えたKさんが僕と話している!

彼はKさんとは共有アカウントでKさんを動かしていたこと、Kさんと面識があることを明言し、Kさんの行方やSの性別、年齢ははぐらかした。
勿論、成り済ましや嘘かもしれない可能性はあったが話のディティールが細かくて説得力があった。
何より、久々に聞いたKさんの名前や美化されたKさんの思い出のパワーが強すぎてそんな些細なことなど何も気にならなかった。

その日チャットの終わり際になぜ僕にそんなことを教えるのか、と訪ねたらSはただ一言

「好きだから」

と答えてメールアドレスを添えて落ちた。
僕は完全にSに心を奪われていた。


Sは厳密ではKさんではない。Kさんの中身にKさんとSがいて、僕が好きだったのはKさんのほうであってSは紛い物だ。いや、SもKさんの一部でありKさんを演じきれていたならKさんであるし、本物だ。性別は?はぐらかしたということは男性だろうか。Kさんとアカウントを共有し、キャラクターを設定してまで手の凝んだことをするS自体がそもそもKさんと親しい仲でありつまりは恋敵ではないのか?Kさんの行方をはぐらかす理由は?KさんがSを名乗っているだけでは?

頭の中がぐちゃぐちゃにかき乱され、日をまたいでもずっとSのことを考えていた。
頭の混乱が収まってもSへの関心は消えなかったし、彼の言葉がずっと反芻されていた。
日直日誌にSのことを書いたのを今でも覚えている。そのときはまるで教祖を信奉する信者のようなことを書いたが実際は、幼稚園のときの仲の良かった女の子とか、クラスの話題に入るときにとりあえず決めた好きな人とか、そういうのとは比べ物にならない、初恋だった。


Sとメールをやりとりしているとき、彼は質問に関してはちゃんとした返答をしてはくれずほとんどが空を掴むような答えだった。
捉えどころのないような雰囲気と相手を乗せる能力はKさんを彷彿とさせたし、偽物であるかもしれかいという考えは消え去っていた。

事あるごとにSは僕を慰め、肯定した。承認や愛を十分に得られずに生きてきた僕はSの言葉に骨抜きにされていた。

数日経つとSは突然塩対応になった。
Twitterでも塩対応で他のフォロワーと明らかに対応が違っていた。
好きじゃなくなったのかな?と問うと特に気持ちは変わっておらず、好きだという。
Sの「好き」を額面通りに受け取ることしかできなかった僕はSの言葉と対応の差異に苦しんだ。
塩対応といっても距離を離したがってるような感じではなく、こちらが返事をしないと追加でメールを送ってくる程でもあった。しかし塩対応。
そのときの僕の目には他の人と仲良くする様を見せつけて嫉妬心を煽っているようにしか見えなかった、というかそれが狙いだったのだろう。

嫉妬心はSへの恋心を妨げるどころか雪崩のようにSへの恋心に変換された。変換されたというよりもSに対する感情は全て恋心であるという認識しかできなくなっていた。歪んだ恋だった。

言行不一致のおかしな対応に怒りを表して追及しても、彼は
「私は平等に皆と接しているよ」
と答えた。どう見ても平等には扱ってもらえてないのに、Sの平等という言葉がとても無慈悲なものに聞こえた。
平等なのに平等に扱われていない矛盾に苦しめられ、僕は更にSに深く執着するようになった。

Sの塩対応が数日続き、たまにデレてまた塩に戻る日々が続いた。完全に弄ばれていた。弄ばれていることを自覚しながらもSから離れることはできなかった。塩対応の裏でSは他の人にはとても愛想良く接していた。それがたまらなく羨ましく盲目的にずっとそれを求めた。NTR性癖が目覚めたのもこの頃だったと思う。苦しんでいたが同時に快感で震えていた。
焦らしのバリエーションは塩対応だけではなかった。ある日突然メールの返信もTwitterの止まったかと思いきや一週間以上音信不通になったこともある。そのときはパニックになってしまい生きた心地がしなかった。

そのような日々が続きいつの間にか僕は完全にメンヘラと化していて、ボーダーも発症し嫌がるSを拘束して自分のものにすることしか考えられなくなった。
こうなってもSは僕の劣情をそそることはやめなかった。メールを送らない日が開くとSのほうからメールを送ってきた。
歪んだ恋心が暴走したのもあるが、好きな人間をどう愛したらいいかという根本的なことすらわからかった。
親に世間体の道具として扱われたようにどうしても道具のように一方的に愛してしまうような感じになったし、寛解したときもこれだけはどうにもならなかった。恐らく今もそうだ。

リアルの僕は完全に崩壊し、夏前には不登校になっていた。
不登校になってからは凄惨なメンヘラバトルを繰り広げた。メンヘラの花は満開だった。詳細はわざわざ書く必要はないだろう。皆が見慣れている、いつものメンヘラの姿だ。
最終的にはSに対する殺意と恋慕を辺り一面にばら撒いて僕が自爆する形で一旦収束となった。


収束した後、垢転生を繰り返し別人を装ってSに近づいたりもした。
転生だとバレないように予め人脈を作る過程でSへの激情は薄くなっていった。思わぬ副作用だった。
それでもSに対する執着は変わらなかったし、何よりも驚くべきなのはこうなってもSは僕のメールに返信し続けたことである。

転生してからは比較的穏やかに、S以外の人とも関わるようになっていた。
そんな中でSが女性とオフをしていて援助交際まがいのことをしていたと知った時は平等が聞いて呆れるとまた激情が燃え上がろうともしたが、昔のように激情に耐えられる心も身体も残ってはいなかった。ただ、静かに自分の性を呪って終わった。

その後もSにメンヘラメールや質問攻めを送りながら僕は通信制高校へ転入し、受験に向けて予備校へ通った。
予備校期には心に残った後遺症のことや予備校自体が苦しく、Sのことを考える余裕もあまりなくなり、メールも送らなくなっていた。
それでもちょっかいを出してくるのがSだ。送らないと送ってくる。


結局、Kさんのことはわからずじまいで終わってしまった。SがKさんだったのか、そもそもKさんとは無関係だったのか。


今でもSから稀にメールが送られてくる。
質問には答えてくれない。